奥村多恵子(おくむら たえこ)
吉祥女子高等学校 芸術コース音楽科卒
米国 バークリー音楽院出身
シンガーソングライター
ボイストレーナー
東京ビジュアルアーツ専門学校(声優・俳優科)講師。
東京クールジャパン(声優ボーカルコース)講師。
幼少〜学生時代

幼少時代 枝をマイク代わりに握りしめて歌っている奥村多恵子
モジモジモジモジ着替え終わると体育の時間が終わっているほど極端な恥ずかしがり屋だった幼少期を経て、
小学校4年生の時に始めた合唱を機に音楽の道へのめり込みました。
歌いたいのに、恥ずかしがり屋という最悪の組み合わせ。
言葉がメロディーとともにいつも舞い降りていたので、それを録音してみると、自分の声に絶望。
自分史上、一大事件でした。
数学の試験がないという不純な動機で、音楽高校へ進みました。
歌謡曲しか聴いたことがなかった一市民の娘が、間違ってクラッシック音楽教育を受ける現場に入るという大きな間違いに気づいたのは入学後。バリバリクラッシックを弾きこなす同級生を横目に、苦しい高校時代を過ごしました。何とか吉祥女子高校芸術コース音楽科を卒業。
同級生が皆音大に進む中、日本の音大に自分の性格がフィットするとは思えず、
米国バークリー音大に修行に出させてもらいました。

留学したバークリー音楽院付近の風景
日本でもバークリーでも、どうしても納得できる発声法に巡り会えず、ずっと出来なかった自分の声改革。
耳鼻咽喉科専属ボイストレーナーもさせて頂きました。
大手ボーカルスクールボイストレーナーもさせて頂きました。
ご多聞にもれず、腹式呼吸で指導していました。
その後も私なりに疑問解決のため、追求を続けました。
ボイストレーニングの本を片っ端から集め、興味の対象になった先生には、コンタクトを取り、全て習いに行ってみました。
体を楽器にするという先生から、共鳴論主体の先生、ジャンルを問わず、とにかく疑問が解明するまで、いろいろな先生の元へ通いました。
クラシック系、ポップス、ミュージカル、ロック、ジャズ、ボサノバ、民謡など、20名以上の先生方に習ってきました。
各先生には、その先生のメソードが理解できるまで通うようにしました。
(結果は、いずれも納得できませんでした)
フースラーメソードに巡り合う
武田梵声先生のフースラーメソードに巡り合い、今までの疑問が全て氷解しました。
運命の出会いでした。
さらに、フースラーのドイツ語の原本を読破しました。
なぜ、フースラーメソードが世の中に出回らないのかわかりました。
世の中に流布している一般的なボイトレの概念とは、全く違う視点で解析しているのです。
発声の「概念」そのものが違うのです。
何はともあれ、「楽しくなければ、発声じゃない!」がモットーです!
現在、都内での個人レッスンと専門学校で教えています。
東京ビジュアルアーツ専門学校(声優・俳優科)講師。
東京クールジャパン(声優ボーカルコース)講師。

グループレッスン中の奥村多恵子